~魂をいたましむることなかれ~ 神道を浸透中!初瀬保 公映(はつせほ・きみえ)の徒然ブログ。

「神道を浸透!をテーマに、神社ツアーや一霊四魂リーディング、大祓詞の勉強会や311の被災地での巫女ボランティアなどなどの活動を綴っております。

「神様に呼ばれる」「神様に愛される」という表現について思うこと。

ずっと感じていることがあります。
神道関連の活動をしていると「神様に呼ばれた」とか「この神社は神様に呼ばれないと来れない」という表現をよく耳にします。
 
個人的な話で恐縮ですが、私は「神様に呼ばれる」という言葉があまり好きではありません。
インターネットの発達している今の時代、例え人知れぬ小さなお社の情報でも少し調べればでて来ます。そして公共交通機関も発達してる日本国内ならば、どこでも自分の足で訪ねて行けると思うのです。
 
そう考えたときに、「神様に呼ばれた」という表現には
「自分は神様に選ばれし特別な存在である」という傲慢な思いや
 
単にはっきりと「自分が行きたいから行くのだ」と言い切ることができないご自身の決断力や行動力のなさを「神様」という目に見えない存在の威を借りてかこつけているように感じられて、かっこ悪いなぁと私は思うのです。
 
 
もう一つ、「神様に愛される」という言葉にも思うところがあります。
神様に愛される人というのは
 
足しげく各所の神社に通う人のことでも
神社に高額な奉納金を納める人のことでも
秘儀とされる参拝方法を知っていてそれを実践する人でもなく
 
シンプルに「周りの人を幸せにできる人」のことだと私は思います。
いろんな人から本質的に愛される人が、神様に愛される人です。
 
神様の目的は【幸せな人を増やすこと】なので、「この人を応援すると、幸せな人が増えるだろうな」ってなるとやっぱり神様の応援も入り安い。
でもそれって、別に特別なことではなく私たち人間と同じ感覚ではないでしょうか。

 

【11月のセッション受付日】

11月10日(土)10時、14時、17時
11月11日(日)14時、17時
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11月25日(日)14時、17時

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